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インタビュークリエイター

地域の魅力を発見・発信。中島さんが出版・編集で実現したいこと

140B中島さん

株式会社140B代表取締役出版責任者

中島 淳さん

京阪神エリアのユニークなテーマを取り上げ、書籍化を行う出版社、140B(イチヨンマルビー)。出版事業だけでなく社内報の編集や、Osaka Metroのシニア向け行楽情報誌『アルキメトロ』の編集、大阪を深掘りする講座などの学びを提供する「ナカノシマ大学」の開催と、その活躍は多岐にわたります。
京阪神、特に大阪の知られざる魅力を伝え続ける企画の源泉にあるものとは。代表取締役の中島さんにインタビューしました。

──起業される前は京阪神エルマガジン社で『Meets Regional』などの編集をされていたんですよね。

最初『Lmagazine』の編集に7年ほどいて、次に『SAVVY』や『Meets Regional』、別冊の編集に移ってからまた『Lmagazine』に戻って編集長になって、そのあと広告や販売の仕事を経験してから独立しました。

──どういったいきさつで起業したんですか?

京阪神エルマガジン社って、親会社が新聞社(神戸新聞)なので、雑誌の考え方や作り方も新聞をある程度踏襲している部分があったんです。
新聞なら、社会部、経済部、文化部みたいに分かれていて、地方支局なんかもあって。そのシステムを雑誌にも持ってくると、「映画班」とか「音楽班」とかの分担になるわけです。その班の編集者は頭が映画や音楽から離れられないですよね。
新聞って基本的には定期購読じゃないですか。月額のお金を払って「新聞販売店」から毎朝持ってきてもらうという。雑誌も最近こそ定期購読オンリーのものが出てきたけど、普通の雑誌を定期購読している人の割合は多く見てもたぶん3割くらい。基本的には本屋で表紙を見るか、車内吊りの見出しを見て、面白そうだったら買うという人がほとんどです。
雑誌は企画のキレや表紙のインパクト、誰に書いてもらい、誰にデザインしてもらうかというところが生命線なんだけど、新聞社から来た役員のみなさんにはそんな意識はなくて、天下り先である子会社の数字を見てあれこれ言うだけでした。でも、当時の先輩たちは、天下りの役員さんとはケンカしないんですよ。親会社の覚えがめでたいことが社員として生き残る道だという空気は、雑誌出版社にとって危ないですよね。雑誌って空気が売り物だと思いますから。

──空気、ですか。

そうです。社内でワイワイと自由闊達に議論をして企画がよくなっていくあの空気。それは全員に「読者を喜ばさなあかん」という前提があるからです。でもそれが分からない人たちが上にいて、会社のあり方に異を唱えた社員が処分されたりする。社内の空気がどんどん悪くなっていったのを覚えています。
その時は47歳だったのですが、「このまま会社にいたら、なんだかんだ言って50を過ぎたら生き残るために親会社にゴマすって過ごすんだろうな」という自分のヘタレさも見えていたので、今だったら別な場所でおもしろいものがまだ作れるかもしれないと。それで、『Meets Regional』の編集長だった江弘毅と一緒に独立しました。
私たちが作っているのは雑誌ではなく書籍ですけど、要はおもろい作り方でおもろいもんを作りたいと。

──さまざまな出版物を出されていますが、何を軸に制作しているのですか?

自分を含めた読み手が面白いと思うものを作りたい、というのが第一です。出版物は私らの生活の場である大阪を扱った本が多いですね。ただ、同じ大阪のことでも、余所が逆立ちしてもできないような、面白い切り口を探して編集することが大事。「ローカル」っていうのは面白いですね。
大阪は自分が好きな街というのもあるけど、深掘りしがいのある街だと思っています。キタなんて1日200万人近い人間が動いているわけじゃないですか。でも、いつも通っているあそこは実はこんなことがあった場所だとか、みんなあんまり知らないですよね。そういう、行き交う人が知らない歴史がたくさん埋もれている街なんです。

 

 

 

──中之島のフリーマガジン『島民』も人気でしたよね。

最初はすぐ終わる予定だったんですが、おかげさまで12年半続きました。
きっかけは京阪電車が中之島に延伸したときに、代理店経由で「中之島の本を作ってほしい」という依頼があったんです。即座に「そんなん出しても売れへんからヤメましょう」と(笑)。でも中之島は17世紀から400年の歴史があってネタはふんだんにあるので、その面白さを伝えるなら本を1回出して終わりではなく、フリーマガジンという形で定期的にやる方が、中之島に帰属意識を持ってくれるファンが増えて絶対いいと思って提案したんですよ。
たった東西3キロぐらいの島に橋が24本もかかっていて、ホテルもあれば市役所、美術館、図書館、科学館、公会堂、銀行、新聞社……それに上場企業の本社もある。そんな場所って世界で見ても類を見ないんです。それで建築や本の特集とか蔵屋敷とか、手を変え品を変えいろいろな企画をやっていたら人気が出て、もともと8カ月くらいの予定がやめられなくなってしまいました。

そういうことをやっていると、弊社からも本を出しているノンフィクションライターの松本創(はじむ)さんから、『島民』の発行だけじゃなく「ナカノシマ大学」という市民講座を立ち上げないかという話があったんです。
江戸時代に身分の隔てなく学べた私塾「懐徳堂(かいとくどう)」の現代版のようなイメージで、間口が広くて気軽に自由に参加できるものにしたいと。それでしばらくは「島民」の発行と並行しながら開催していました。講演が中心でしたが、落語会や水上ツアーなどもありました。

 

『島民』はスポンサーの都合で終わってしまいましたが、「ナカノシマ大学」は大阪府立中之島図書館さんとの共同で、毎月1回、継続して開いています。みんなが知らない大阪や中之島の文化・歴史にふれられる場所になっていて、楽しみにしてくださっている人がいるのでうれしいです。

──じゃあ、テリトリーはやっぱり「ローカル」ですか。

大阪の地元ローカルが多いのは事実ですけど、それ以外でも人とのつながりで決まる仕事も多いですよ。
例えば、PRリンクの神崎さんからも、西宮市に本社がある企業や神戸市東灘区に本社がある企業の社内報のお話をいただいて、編集をさせてもらっている。あれも神崎さんが面白い人で、「自由にやらせてもらえそうだから」というのが大きかったです。

 

──「面白い」ものを作るために気を付けていることは?

制作にはデザイナーやライターなど多くのスタッフが関わりますが、責任者が指示した通りに作るというよりも、それぞれの人が自分であれこれ考えて試行錯誤していくやり方のほうが楽しいだろうなと思うので、そういう環境を作るようにしていますね。
意見を言いやすい雰囲気を作るのもそうだし、実際に顔を合わせることもそうです。それができなくてもZoomとかで会議してアイデアを出し合うのがすごく大事だと思います。
最近、直接話すことの良さを特に感じたのは『大阪キタと中之島 歴史の現場 読み歩き。』(松井宏員著)という本を出版したときですね。あまり知られていない大阪の歴史を写真とともに紹介する本なんですけど、もともと写真はカラーにする予定だったんです。でもデザイナーが「松井さんの文章が面白いからこの本を出そうと思ったんでしょ? だったら写真は小さくして、モノクロでいいんじゃないですか」と言われて。あ、そんな考え方があるんだと。そういう発見は直接話さないと出てこないなと思います。実際に全ページモノクロにしましたが、おかげさまで重版できました。

 

──今後してみたいことは。

西宮市や神戸市東灘区の企業の社内報を手掛けていますけど、そこと協働でいろいろな企業さんや行政、団体、面白い人がつながって、「ニシノミヤ(ヒガシナダ)再発見講座」みたいなことができたらいいなとは思いますね。街の歴史やその企業さんのポテンシャルの高さというのがわかってきたのでできそうだなと、そこから人の出入りが増えていったら面白そうだなと思います。

街の魅力を発信することで地域に貢献を続けている140Bさん。その源泉には「面白い」ものを追求し、作り続けたいと思うココロがありました。これからの活動からも目が離せません。

 

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