「このままではいけない」手探りで始めたECの世界
石川県の伝統工芸である九谷焼をネット販売している竹内さんですが、実は生まれは群馬県。大学卒業後は実家の和菓子屋の傾きかけていた経営を兄弟で立て直し、その後地元の旅館に就職。責任ある立場となり、寝る間を惜しんでの生活で、家族との時間が全く取れない毎日でした。妻の実家は石川県にある九谷焼の窯元。思い切ってそこに移住したのは2003年。最初の1年は何をやっても失敗続き、「このままではいけない」と、清水の舞台から飛び降りるような覚悟で始めたのがネットショップだったといいます。
そんな手探りで始めたネットショップ、竹内さんがさまざまな勉強会に参加していたのは15年くらい前にさかのぼります。プレスリリースの勉強会で講師だった神崎と出会い、その勉強会を通じてプレスリリースの必要性を感じたといいます。
竹内さんがプロデュースする九谷焼で製作した色絵折り鶴で千羽鶴を目指す、「九谷千羽鶴プロジェクト」作品
新聞掲載→スゴイ→がんばってる人→有望株→仕事がやりやすい!
群馬の山奥から来た若造がインターネットなどという怪しいことをやっている。当時の竹内さんは「若者、よそ者、新参者(新しい形態)」と叩くのに3拍子そろった格好の獲物で、本当によく叩かれたそうです。
「北陸は基本的に保守的な人が多く、360年続く九谷焼の業界や、伝統工芸の世界はその典型です。しかし、叩かれながらでも、がんばって実績を上げるとちゃんと認めてくれます。保守的とはいえ、実は大らかで悠久の時の中に暮らしている、非常に懐が深い人々だと感じています。」実際、生活の中に伝統が根付き、歴史をそこかしこに感じる場所。竹内さんにとっては毎日が観光旅行のようなものだったそうです。
「実は最初は単なる自社PRくらいにしか思っていなかったプレスリリースですが、最初の勉強会で神崎さんから教えられたのは、A4の紙一枚に文字を書くだけではなく、その準備は数字、実績、文章、言葉選び、配信日時などさまざまな要素を組み立て、行間にその思いを詰める、かなり熱い作業、そんな奥深さを知りました。しかし、頭では理解していても、「本当にこれで取り上げられるのか?メディアが自分など相手にしてくれるのか?」と疑心と期待とが半分半分でした。
リリースした翌日、A4のリリースを持ちながら事務所に向かって歩いてくる新聞記者の姿は今でもはっきり覚えています。
結果的に商品や会社をPRする手段のひとつがリリースだと思っていたことが、本当にPRされたのは僕自身でした。これはいまだに続いています。思ってもみない嬉しい誤算でした。」
そう語る竹内さんはその後も何度もリリースを出し、今でも自分自身でも配信し続けています。
「神崎さんの教え通り、リリースがうまく配信できると売上げにも直結します。その都度、掲載履歴をページに反映させるなど細かい作業を繰り返しながら、追加販売を行えるような商品企画も行うことができました。売上げ向上、ものづくりの考え方など多くを学ぶことができましたが、僕にとって一番大きかったのは地元紙に掲載されたという事実でした。田舎なので新聞に載るとストレートにすごいと思ってもらえます。つまり、怪しいやつが一躍有望株へと変身し、ずいぶん仕事がやりやすくなりました。」
広報塾でともに勉強をした石川県の伝統工芸の仲間
さらに仲間と「いしかわ伝統産業次世代リーダー塾」で研鑽(けんさん)を積む。
「逆算のものづくり」塾で学んだ企画は約50本ものメディア掲載に。
石川県庁には他県にはない伝統産業振興室という部署があるそうです。2014年、今までにないアイデアの事業として「いしかわ伝統産業次世代リーダー塾」が開催されるとことになったのですが、内容が決まらず、担当者がすでにネットショップで売上げを上げている竹内さんに相談したそうです。
竹内さんはプレスリリース発信の実績もあり、業績を伸ばしている経験から「リリースを勉強しながら逆算のものづくりをして発信することの大切さを学ぶカリキュラム」を提案。その場で親交のあった神崎に講師を依頼。そこから2年間本格的な広報塾が始まりました。
この塾に参加したのは県内の伝統工芸、九谷焼、加賀友禅、金沢仏壇、表具、漆器、牛首紬を代表する仲間たち。そのメンバーとともに月1回の勉強会でプレスリリースの作成を通じ「書き進めるうちに今あるものでは難しいと気づくこと」「メディア視点で新しい商品やサービスを企画することの大切さ」を学びました。当初竹内さんを除くほかの仲間は、竹内さんが昔そうだったように「広報=広告」「良いものだけを作っていればいいんだ」と思い込んでいました。しかし広報の基本を知る中「逆算のものづくり」を身に付け、プレスリリースを配信することで、勉強会の企画がメディアに50本ほど掲載され、改めて広報の大切さを知ったといいます。実は竹内さんの夢でもあったアメリカへの挑戦は、この勉強会を通じて企画をブラッシュアップ、発信することで多くのメディアにも取り上げられて一気に加速したのです。
「リリースはA4一枚の紙ですが、そこに集約する工程にこそ意味があり、また「ものづくり」は「人づくり」でもあると実感しました。言葉の言い回しひとつで同じ意味でも捉え方が変わります。それはお客様対応にも重要なポイントでもあり、取引先や家族との接し方、子育てにも応用することができ、それでこそ仕事の意味があると気づきました。商品を売ることだけでなく、その沿線上に会社や従業員、家族の幸せを繋ぎ合わせることができるのだと感じています。子供のころ漠然と、将来海外と取引したいと思っていた夢はアメリカ進出で叶いました。これからは世界に向けて販路を広げたいと思っています。」
最後にこう話してくださった竹内さん
これからも夢に向かい情報発信し続けていくそうです。
海外でもmanekinekoとして人気の招き猫 竹内さんは招き猫デザイナーでもある。
更新日:2020/7/8